私の私による私のための私。
この歌詞がすごい。
泣いてもいい わたしを歩いていくのさ
私になれ 私を叶えて生きてくのさ
この圧倒的な「自分」。
空気読めとか、人の気持ち考えろとか、道徳の授業でさんざんやってきましたよ。
人のために、みんなのためにって、それが正義のような感じの空気になってましたよ。
やりたいことが少しでも「集団」からズレていると「変わってる、自己中だ」って言われるんじゃないかってビビってましたよ。
私も例にもれず、集団に身を置き、異端児にならないようにみんなと仲良く明るい私でいようと努めた時期があります。
吹っ切れたとき。
それが吹っ切れたのは、夢を現実のものにしようと動き始めたときです。
当時の私の夢は、役者にやること。人前で歌を歌う人になること。
人前に立つ人間は、集団の中には居られません。集団から抜き出て輝かないと人の目には映れないから。人の視界に入るためには集団の中に埋もれていられないのです。(特殊な集団には居られるけど)
私は幸い14歳という多感な時期に本格的に自分の夢を叶えようと動きまくっていたから、自己表現を恥ずかしいなんて思わなかったし、アイデンティティを確立できたように感じてます。
考え方というか生き方のスタンスがこの頃からさほど変わっていません(精神年齢14歳説)。
beautifulを聴いて思い出す。
わたしも夢に向かって生きていた頃、たくさん泣きました。うまくできないこと、どうしても手を抜いてしまうとき、自分よりあとに入った人が活躍していく現状、才能がないのかもしれないと落ち込むこともありました。楽な道に行ったこともありました。でも、たくさん泣いて辛かったけど、やっぱり楽しかった。人生で一番自由で楽しかったと胸を張って言える時期を過ごしました。
振り返ったら、ちゃんと宝石のように輝く日々だったし、今も私の中で輝いてます。
私が私でいるのは、ときに、戦いです。
周りとの関係。家族との関係。たくさんの見えないしがらみの中にいますよね。時に、私が私でいることは「戦い」になります。やりたくないものと折り合いをつけなければいけないとき、どうしても歩み寄る場面が出てきます。自分を曲げないと行けないときも出てきます。押し通すのが苦しくなることもあります。
でも、私はやっぱり
私になれ 私を叶えて生きてくのさ
この精神で生きていきたい。それが自分の人生だし、私がこの人生で成し遂げたいことです。
誰も振り向いてくれなくてもいい。
変な人と思われてもいい。
私は私の人生を。
そして、息子たちもそれぞれの人生を叶えて生きてほしいと思います。
自分にとって大事な人って、何人もいません。
その他大勢に惑わされず自分の道を生きよう。
わたしの応援歌に認定します。
人生に迷っている方ぜひ、聴いてみてください。