2020年1月に考えたこと 性別について。
お久しぶりのブログです。
1月1日にスマホの買い替えをしてたら、何をするのも快適で、インプットにインプットを重ねていました(映画やドラマをたくさんみてましたの意)
すっかり本は読まなくなり、買った本も、借りた本も読まないままです。
読書は自分で映像を脳内で作りながら進めていくので、時間がかかります。それが独自の世界で面白い部分ですが、「誰かの手によって作られた世界」が見たいし、視覚として物語に没頭したいと思うことが勝ちます。
- 自分の性について考えてみた
- 深堀できないと成果は上げられないのか
- 浅く広くじゃだめなのか。
- 演者と観客の関係に意味はあるのか。
- 私できることはなにか。
いろんな作品を見ながら、それぞれから生きるヒントをもらった1月でした。
今回は
・自分の性について考えてみた。
これを考えるきっかけはドハマりした「ドラマ・おっさんずラブ」です。
もう何周も繰り返し見ています。よくできた作品で、性別を意識させながらも、性別もコンプレックスも国境も超えて、人と人が愛を見つけるというエンディングに仕上がっているところです。
で、その純粋な愛を目の前に突き付けられて、自分の性について考えることになりました。
性って、LGBTというもの含む、自分の立ち位置を示すことで、
私は、ずっと女性として生きていたし、恋愛対象も異性です(男性)。
ウエディングドレスも着たし、成人式では着物も着たし、それに対してなんの違和感もなかったです。女性として育てられ、女性として生きることになんの抵抗もありません。
でも、もうずっと小さいころから制服以外のスカートは履かないし、ヒールやパンプスも苦手。
女性らしく振舞うことは苦手。髪も短く、ブラジャーもやめました(貧乳でよかった)
どちらかの性というよりかは、どちらにも属さないような気持ちです。
まさに「人として」私は立っている、という感覚です。
あえて、宣言する意味もないように感じてきましたが(笑)
わたしは今、そういう感覚で生活をしています。
この考えに至ってから、人間の愛の形は様々で、(対人に限らず、対自分も含む)当人の幸せを優先すればいいじゃん。って考えるようになりました(もともとそう思ってたけど明確になった)
子どもや夫や、近しい大切な人たちが、
本人の思う幸せを選択していってほしいし、それがどんなに世間的に想定外のことであっても、私はそれを認めていくと心に決めています。